ぶらり・ぶら~り
第150回 16年ぶりに再開した中山道歩きでの寄り道 (2017/01/25)
中山道歩きを16年ぶりに再開しました。
前回の終わりは(中山道歩きPart5)、大井宿の恵那駅でした。恵那駅が明智鉄道とも繋がっている事を知る。折角近くにあるので立ち寄る事にした。
中山道の街道歩きは一人だが、この寄り道、恵那駅から明智鉄道の間だけ旅仲間のNを誘って熟女二人旅をしてみたい。明智鉄道の後、私はそのまま中山道を歩く。Nはその後一人で帰宅だけどお誘いすると問題なし。わがままな誘いに気楽に応じてくれた。
寄り道1日目 6月5日 1日目
恵那駅から明智駅まで約50分、11の駅を全部楽しむのは不可。明智鉄道だから明智駅に降りてみようという事になった。宿は岩村を予約した、近くに岩村城があり翌日の観光地に選んだ。
明智鉄道では季節に応じて地元の食材を使った食堂車列車があるようです。
食堂車列車は予約制で、何も知らずに乗ってしまい残念に思いました。
興味のある方は下記のサイトでご覧ください。
http://www.aketetsu.co.jp/
明智駅横にコミュニティーの建物あり、私たちはそこで昼食をいただきました。そこは観光案内所の役割もあるようでした。明智には大正村があるのでゆっくり散策することにしました。街へ出かけます。ありがたいことに荷物を置かせていただく事ができました。
http://nihon-taishomura.or.jp/
駅の前をまっすぐ進むと大正村広場に到着。地図に従って大正路地に入っていきます。龍護寺へ行き明智氏系図で光秀の名を確認、あとは気の向くままに歩きます。大正時代だけでなく私たちが育った昭和時代も思い出せる風情を感じました。
寄り道2日目 6月6日 2日目
戦国時代、織田信長の叔母が全国的にも珍しい女性の城主として実権を握っていたという史実に由来して、いわむらは「女城主の里」と呼ばれています。
そんな岩村での朝食は、お城の器に出されました。
食後荷物を預けて、お城跡へ向かいます。結構歩きがいのあるところでした。
同じ明智鉄道沿線で織田信長と明智光秀の歴史に触れる事に面白さを感じました。
http://kotobank.jp/word/%E5%B2%A9%E6%9D%91%E5%9F%8E-179729
食後の良い腹ごなしとなった岩村城巡りを終え、宿に戻りチェックアウト。駅までの歴史散歩のような街を歩きます。宿のご主人が荷物を途中の店まで届けてくださるとの事で手ぶらの散歩、助かりました。
岩村を楽しみ恵那へ戻りこの日は恵那に宿泊予定です。
午後は中山道大井宿で遊び、翌日Nは帰宅、私は中山道を京都へ向かって歩きます。今年は古希を迎える私、体力があるうちに中山道終わらせたいものです。
前回の「中山道歩き」コラム
- 2013/08/20 第109回 16年ぶりに中山道歩き再開
- 2013/11/27 第112回16年ぶりに中山道歩き再開 Part2
- 2014/01/30 第114回 16年ぶりに中山道歩き再開Part3
- 2014/02/26 第115回 16年ぶりに中山道歩き再開Part4
- 2014/03/28 第116回 16年ぶりに中山道歩き再開Part5
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。