ぶらり・ぶら~り
第112回 16年ぶりに中山道歩き再開 Part2 (2013/11/27)
8月に引き続き、10月14日から京都まで行くつもりで我家を出発。
ところが、気がつくとキャッシュカードを忘れていたのに気がつく。
街道歩きでは郵貯とJAを用意していたが、日常に使用しているバックをおいて来て入れ替えるのを忘れていた。
日頃からあまり現金を持たないのだが、幸い、留守をするのに少し多めに用意をしていた財布があったので、それを持って出ていた。
街道歩きではクレジットカードが使える宿は少なく、ビジネスホテルのみだった。現金が無くなった時に今回の旅は終る。JRのVewCardがあるので行き帰りの電車は乗れるようだ。出発から慌て者のわたしです。
中山道は峠が多い。石を敷き詰めた山道も多いので、靴は、雨にも強いしっかりとしているトレッキングシューズを着用。
先ず今回の荷物は、次回のcamino歩きのトレーニングも意識しての荷物作りから始まった。リュック自体は2kある。昨年の反省も意識して荷物をなんとか6kくらいにしたいと思ったが、結局8kになってしまった。これに寝袋など入ると10kくらいになるのだろうか。
10月14日 1日目 平塚(岩村田)~塩名田宿~八幡宿~望月宿~茂田井宿~芦田 25701歩15.6k
この日は4つの宿場を歩く。台風が近づいているが、この日は小春日和。
刈り入れが終った稲の稲架(はざかけ)や浅間山の眺めを楽しみながらてくてくと進み、室町時代(1486年)に建てられた県重要文化財駒形神社へ。思ったより小さく、質素な造りだった。
千曲川の渡しで栄えた宿場、塩名田宿では中津橋に今でも「舟つなぎの石」が残っていて渡し場の名残が感じられる。天気が良すぎて少しかすんではいたが、浅間山や蓼科の山並みが素晴らしかった。
歩道の無い道を峠のように上り、下ると八幡宿に入り八幡神社に立寄る。
観光地では無いが、家並みは昔の面影を残す。
中山道沿いには有名な宿場がもちろんあり、大勢の人々が訪れているが少々観光化され過ぎた感じだ。昔からの生活を淡々と続けている街道沿いの集落の方が面影を感じる事が多いと、私は思う。
昼近くなり,今日はどこへ泊まるのだろうか?と思案する。
12時過ぎ、昼食を取ったレストランでいろいろ情報を得る。
本来は長久保までと考えていたが多分無理かも?現在の時間、今の体力など考え、現実と向き合いながら先へ進む。
八幡宿を過ぎ大きな道を歩き瓜生坂へさしかかる。緑に囲まれた道を上りきると坂から望月宿の町並が一望できる。一気に下り坂、橋を渡ると望月宿に到着。
そこで奈良から来ているという若いご夫婦に出会い、芦田宿の情報を得る。奥様、今主流のスマホで芦田宿の宿を調べてくださった。宿が決まれば歩く事に専念、楽しい歩きが又始まる。
芦田宿の前に考えても見なかった茂田井宿を通る。街道に沿って白壁や土蔵が続く、江戸時代の面影がそのまま残る集落で、1時間も過ごしてしまった。
芦田宿に到着したのは16時を過ぎていた。
予約していた宿は江戸時代から180年にわたって旅籠を続けている「金丸土屋旅館」。「津ちや」と書かれた当時の庵看板が二階に掲げられていた。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。