ぶらり・ぶら~り
第115回 16年ぶりに中山道歩き再開Part4 (2014/02/26)
10月18日 5日目 洗馬宿~本山宿~贄川宿~奈良井宿 30552歩 19.6k
洗馬宿を通過時に「あたふの清水」は必見。この集落は道幅も広く中山道の情緒がしっかり残っていた。
30分も歩かないうちに、「わがまち塩尻30選」の「言成地蔵尊」と「滝社」の文字です。う~ん歩き始めたばかりなのにどうしよう(迷)そのまま素通りはできなかった。
地元の主婦が早朝神社のお掃除をされていた。毎朝長年続けられておられるそうです。
不思議な出会いでした。Mさんは同年代で今でもお便り交換しています。
あっという間の30分「滝社」はパスです。
中山道は標識が多いので助かります。
順調に進み本山宿、おそばが有名だが9時半で早すぎる(x_x)先へ更に進みます。いくつかの集落を通り過ぎいよいよ贄川宿でお昼です。
空腹が絶頂です・が・・駅前のお店は閉まっています(X_X)
駅の待合室で、補助食と今朝作ったボトルのコーヒーで空腹をしのぎます。
駅から直ぐに贄川宿の立派な看板をみて、メロディ橋を渡り関所跡へ。
受付の女性の助けで奈良井宿の宿を予約完了。美味しいそば屋を教えて頂くが宿は2食付、遅い昼食をとると宿の食事が苦しい物になる。残念だが諦めて先へ進む。
「信濃路中山道自然歩道」の案内板がありがたい。
途中漆器の平沢を通過,時間があればゆっくり漆器を拝見したかったが奈良井宿まで5.4k。マイペースで歩きたいので漆器の街をながめる程度で通り過ぎる。
奈良井宿には16時を過ぎに到着、木曽路の文字に中山道を歩いているという実感。
奈良井宿は観光客も多く、皆が江戸に舞い降りた気分になる町並みだった。
宿のご主人は若く如何に客をもてなし、若者らしく今時の便利さもとりいれ快適な宿にしようとする意気込みがかんじられた。
隣の部屋で食事をご一緒したご夫婦が、同年輩であり同郷で私の実家近くにお住まいとか。この旅での不思議なご縁が又一つ加わりました。それ以上の詳細はお互い語らず、これも旅の楽しさです。
10月19日6日目 奈良井宿~鳥居峠~藪原宿~宮ノ越宿~木曽福島宿 32974歩 20.6k
昨夜は疲れて宿までの半分しか奈良井宿を見る事がなかったので朝食後朝の散策。
散策後8:50を出発、本日鳥居峠越えがある。
峠越えの途中でアメリカからの4人組と出会う。
2人は日系のアメリカ人Naomiさんとkeikoさん。
歩いている人は少なく、すでに早い時間に出発したのだろうか?
途中熊よけのベルが何カ所もあったが熊には幸い出遭わずサルを見かけた。
アメリカ組には大受けのおさるさん達でした、でも食べ物は与えません。
峠を越え藪原宿まで約5k 2時間かかりました。
中央線を右に左に交差しながら藪原駅を過ぎると19号線を歩きます。
車の行き交う道は好きではありませんがいつまでも昔のままという訳にもいかない。
それでも色づき始めた山々を見ながらトンネルを歩いたり木曾義仲にまつわる場所が随所にあり「木曽路だなあ」なんて思いながら京ヘ向かいます。
12時を過ぎる頃ドライブインが見え昼食をとる前に今夜の宿を考えなくてはいけません。
今夜は木曽福島にしよう!今夜も宿が取れたヾ(*´∀`*)ノ到着時間が読めないと言うと夕食無しという訳でドライブインで昼食。
景色が良くて宿はきまったし、歩きがゆっくりになってしまいます。
そして中間地点です、16年間も歩いているのにまだ半分(笑)
木曽福島宿へ到着したのは午後5時近かった。
木曽福島宿も夕方だというのに観光客でいっぱいでした。
歩いている時は誰もいなかったのにどこから沸いて来たのか?と思ってしまう。
民宿と思っていた宿は立派で駅に近かった。
10月20日7日目 木曽福島宿~上松宿~須原宿 29362歩 20.9k
台風がやってきたようで朝から雨です。雨具は持参していますので余程の事でなければ雨で歩きが中止になる事はありません。美味しい朝食を頂き、8時半に出発です。
山道を歩いているうちに小雨となりました。
そこへ茨城はそうとう降っている模様で、夫から帰宅を促す電話がはいりました。
感謝の気持ち現状を告げ,続行です。
10時を回った時「沓掛馬頭観音」いわれのありそうな観音様、雨は続いているしチョット迷いましたが、お参りをして行く事に・・・やはり迷うというのはいけません。
お参りが終わり、岩の階段を降りかけたときスルッと滑ってしまいました。
湿布薬等は持っていましたので応急処置をし(コレくらいで済んだのも観音様のお陰)と何事もポジティブな私です。上松駅まで雨の中を進む。
上松駅の隣に観光案内所、立ち寄るとそこは地域のコミュニティにもなっている様子。
係の女性がとても親切で、そこでお昼をとる事になる。
上松が如何に良い所かを熱く語ってくれ輝く女性だった。
午後にはいり宿を見つけなくてはと尋ねると須原には一軒しか宿は無いとか?
ご親切に連絡を取ってくださって今夜は須原に宿泊決定。
翌日出会ったご夫婦は須原に宿は無いと聞きふたたび木曽福島に宿を取り戻ったとか。
ゆっくり体を休め雨のなか出発、木曽川の激流が花崗岩を浸食して作り出した天下の奇勝寝覚の床も興味はあったが、寄り道をする気力は無くなっていて残念だが諦めて通過。
通り道にある小野の滝は見物して,雨足が強くなった道を進む。
須原宿へあと4k強の倉本駅に到着したのが15時少し過ぎ、雨なんか・・いつもの私だがその時はもういけません。駅で時刻表を見ると電車は50分後に来る。
今の私では須原駅まで50分ではたどり着く事は出来ないだろう。
無理をする事はやめ、電車を待つ事にする。
須原駅から宿まで歩いて20分程かかった、やはり電車に乗って正解と納得。
宿に着くと温かいお風呂と温かい部屋が用意されていた。本日私貸し切りでした。
上松案内所の方が美味しい料理が食べられますよと教えてくださいました。
その通りお料理上手の私よりずっとお姉様がやっておられる宿でした。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。