ぶらり・ぶら~り
第192回 今年こそお医者様とは無縁の日々を! (2020/09/01)
ザックひとつで多くの旅を楽しみ、各地を歩き回るぶらりです。元気ねえ!、と、多くの方は、私のことを病気ひとつしない、元気印と見ておられます。
私が本当に元気になったのは70歳を過ぎてからでした。
幼い頃から病院と大の仲良し? 証拠写真かどうかわかりませんが、右の写真は多分4歳ごろだったと思います。熊本のどこかの病院前で看護婦さんとご一緒の写真がありました。
よほどの常連でなければ看護婦さんとのショットはないと思います……。
小学5年生の3学期はほとんど学校へ行けず、布団の中で過ごしていた記憶があります。母がペニシリンを見つけてきてその後回復しました。
中学3年生の正月3日は腸閉塞で手術、1ヶ月以上入院していた記憶があります。
長男出産後再び腸閉塞で1ヶ月入院、更に7ヶ月後、腸閉塞で再手術2ヶ月の入院。手術後目が覚めた時はすでに長男は夫の実家でした。
その後、元気とは言えないけど長女も授かり、何となく気だるいことはありましたが、二人の子供を育てながら忙しい毎日で約20年が過ぎて行きました。その後も病院とはご縁が切れない年月でした。今から思えば気力だけで生きていたような気がします。
4月のコラム「私の歩き歴史」で書いたように、運動音痴の私が、ふとした気まぐれから歩き出したことで人生が変わりました。それでも体調不良は続いていました。人とは面白いもので病を持っていても好きなことをする時は力が出るものですねえ。何となく不調な体でも、好きなことをする時は不思議な力が出るものです。この我儘な行動が私の体をどんどん丈夫にしてくれました。
長い年月私の引き出しには多くの診察券があります。コロナのせいもありますが今年初めて医療費控除の手続きが必要なくなりました。
更に今年はまだお医者様のお世話になっていません。
そろそろ健康診断の申し込みをしなくてはと思っています。
これからもお医者様にお世話になるのは健康診断のみを目指します。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけてすっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
今の若い方と違い世間が何もわからない23歳の時伴侶を得て今年で50年。
団塊世代の私も70歳を超え高齢者の仲間入りです。
森の里の小さな我が家に40年間、おかげさまで健康だけが財産となり元気に過ごしております。
これからの目標は、天に召されるまで病なく普通に生活を送ること、そう思っています。