ぶらり・ぶら~り
第188回 私の歩き歴史 (2020/04/28)
30年以上ジム通いで、散歩の機会が減少して忙しい日々が続いていました。
コロナ騒動で行動範囲が狭まり、不要不急な外出は自主的に中止の生活です。
2月上旬の定期歯科検診をキャンセル、子供の頃から歯医者通いが多かった私は事情があり東京まで通っています。世の中の状況が変わり始めた頃、治療では無いので無理をすることも無いと先延ばしにしました。
10年頃前からリタイアした夫は時間をもてあそぶこともなく、日々地域に馴染み退屈無しの日々を送っています。夫退職後の日々を嘆く妻たちのような事も無い10年以上です。
私達はせっせと毎日ジムに通いました。私は日々決めたプログラムに従っています。夫はプログラムを選ばず、セルフスケジュールをこなす毎日です。
私達はお互いのスケジュールに合わせ日常を過ごしています。
同じジムですが、行動はいつも一緒とは限りません。時間が合えば、車に同乗で時間を合わせます。
ジムへは約4キロの距離、我が家の一台の車は、主に夫が中心に乗っています。
車が使用できない時は牛久へ行くバスに乗ります。時間に余裕がある時は、ジムまで歩く良い機会になります。
4月半ばを過ぎた頃通い慣れたジムも閉鎖になりました。
夫は時間を決めて約1時間半位何処かへウオーキング。
30年位前私がウオーキングを始めた頃「理解できない!」と眉間にシワを寄せて怒り狂っていた夫を思い出します(笑)昔のことです~
お許しが出た?という感じで、夫が帰宅後「では私ちょっと歩きに行ってきます」
久々のウオーキングです。私がふらっと我が家を出て歩き出したのは週休二日が始まった土曜日でした。あれが私の歩きと旅の始まりで、天王台まで歩きソロソロ夕飯の支度の時間!と帰宅。
次の土曜日、天王台から日本橋にたどり着きました「さて?これからどうしよう?」
私の頭に浮かんだのは、幼い頃の記憶。東映の時代劇をよく観ていました。
弥次喜多の二人がよく日本橋から歩き始めていたなあ!
連れはいないけど、とりあえず東海道を歩いてみよう!
土曜日毎に私は歩き始めました。
東海道の次は? 世の中には五街道を歩いている人がいるらしい!
本当に単純な始まりでした。五街道を歩き続けました。
実は最後の中山道は、関ヶ原までしか歩いていません。
関ヶ原から京都まで歩けば五街道踏破という事ですが、はて?実現するでしょうか?
歩きたいなあ!
ご無沙汰していた歩きがコロナのおかげで再開です。
中山道の続き、遅くならないうちに実現したいものです。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。