ぶらり・ぶら~り
第96回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(1) (2012/07/24)
Part1 プロローグ
2年前夫のリタイアを機に、主婦には一生リタイアが無いので「45日間のNZの旅」として休暇を取りました。そして今回私いよいよ高齢者の仲間入り65才の記念に70日の休暇をもらう事にしました。これもひとえに私はもちろんですが家族が健康でいてくれるお陰だと感謝しております。
5年前「フランスの道」を歩く事を決めた時、筑波大学で「ヨーロッパにおける巡礼の旅」という講座があった。その資料を参考に少し触りを述べてみる。
巡礼とは旅という形態をとる宗教現象(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドウ-教、仏教等で見られる)
ヨーロッパにおける巡礼の特徴はキリスト教の聖遺物崇拝と密接に結びついて展開される。これは4~5世紀に発生。
ヨーロッパの巡礼地は
(1)地方的小巡礼地:限られた特定地域で飲み崇拝された聖人を祀る巡礼地
(2)国民級の巡礼地:普遍的聖人を祀る巡礼地(モンサンミッシェル→天使ミカエル)
(3)国際級の巨大巡礼地:とりわけ熱烈な崇敬を集めた普遍的聖人を祀る。
i)エルサレム:キリストが十字架刑に処せられ、埋葬され、復活して聖地
ii)ローマ:聖ペトロ、聖パウロの殉教地、多数の殉教聖人の埋葬地
iii)サンテイアゴ・デ・コンポステーラ:聖ヤコブの遺体埋葬地
私が今回も歩いたのがサンテイアゴ・デ・コンポステーラを目的地として歩いたCamino de Conposutela です。
フランスからは巡礼の中心地であったトゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道は、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからピレネー山脈イバニェタ峠を超えロンセスバージェスへ入る。その道は「フランスの道」と呼ばれ、巡礼路でもっとも重要な道である。
そして、トゥールーズの道はソンポルト峠に向かい、プエンテ・ラ・レイナデまでは、「アラゴンの道」と呼ばれる。その後は「フランスの道」になる。
ル・ピュイから歩いて来た方が結構居られます。私もいつかはル・ピュイから歩きたいと思っています。ヨーロッパ在住の方で自宅から2ヶ月3ヶ月かけてコンポステーラまで歩く方も居られます。私も日本海を泳いで・・・なんて冗談です(笑)
スペインに入るとまたコンポステーラまでの道が5つあります。
(1)「北の道」イルンからヒホン経由(La Costa)とオビエド経由(Primitivo)の2つのコース。今回この両方のコースを歩きました。
(2)「イギリスの道」海路でフェロルまたはア・コルーニャに上陸して歩くコース
(3)「ポルトガルの道」リスボンからパドロンを通って歩くコース。
リスボンからポルトまでは面白く無いのでポルトから歩くコースを進める方もいます。今回時間が余ったので最後にポルトからコンポステーラまで歩きました。
(4)「銀の道」セビリャからカセレスを経由してアストルガからフランスの道と合流するコースとオウレンセ経由で佐奈ブレスの道のコース。是は元々古代ローマ時代の道
(5)「フィニステレの道」サンテイアゴの巡礼を終えた巡礼者が最終的な目的地として訪れる事が多い。このコースは5年前フランスの道の後歩きました。
是から100才まで5年を区切りに、残りのコースを歩きたいと思っています。
100才まで、少々受けを狙って行ったのですが、巡礼者達には特別大した事ではないらしい。現に97才で、一人自転車で巡礼をしている方も居られるとか。私も是非100才の記念は実現させたいと思います。
今回「北の道・La Costa」終了後サンテイアゴからバスでオビエドまで移動して「北の道Primitivo」更にバスでポルトガル・ポルトへ移動サンテイアゴまで北上して今回の巡礼を終りました。
4月19日イルンから歩き始めた頃はまだ寒く、雨模様でぬかるみに苦しみました。
又体調も良いとはいえなかったのですが、Primitivoを歩き始めた頃からだんだん体調も回復して最後は歩く事が楽しくて仕方がなくて、全てに感謝する毎日でした。
今回はいろんな矢印を皆さんにご紹介したいと思います。お楽しみに。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。