第35回
サンチャゴ巡礼道900キロの旅
part7 カリオンデ・ロス・コンデンス〜
6月14日(水) カリオンデ・ロス・コンデンス〜サンニコラス 50,163歩(しっかり42,403)31.7キロ
6:15出発。だんだん明るくなる頃サン・ソイロ修道院の前を通り過ぎ国道へ進む。
いまだお世話になることも無い救護所を通り過ぎるカルサデイージャに着くまで17.2キロバルも何もない。
ただひたすら歩くのみである。
車がビュンビュン通る国道を必死に歩く。小川を渡るところからローマ時代に造られた「ビーア・アキターナ」メセタの道が再度始まる。ローマ軍は何処にでも道を造る。村が見え始めバルの看板が見える。
「バルだ!バルだ!」
10:30 <カルサディージャ・デ・ラ・クエッサ>
13:15 6.2キロ歩いて<レーディゴス>
14:10 <テンプラーリオス>
日本の女性に出会う。巡礼で意気投合した数人で野宿をしながら巡礼を楽しんでいるのだと言う。なんとも羨ましい限り。限られた時間内で歩く私にとっては、やはり生まれるのが早すぎた!と思うばかりである。
15時、本日の宿があるサンニコラスに到着。20名定員のこの宿は前日予約しておいた。
4人部屋のきれいな宿だった。夜中にすごい雨と雷の音だった。しかし私たちの睡魔はそれを越えていた。
6月15日(木) サンニコラス〜マンシージャ・デ・ラス・ムーラス 54,101歩(しっかり45,454)37.9キロ
6時前に出発。まだホテルの前でストレッチ!先ずは10キロ先のサアグンを目指します。
朝焼けを見ながら、途中無人となった古い教会で休憩を取る。サアグンの町は目の前なのだがなかなか辿り着かない。やっとホタテの目印が見えてきました。
サアグンは大きな町です。駅舎を通り過ぎ、アルベルゲのオブジェと記念撮影。バルで朝食。
昨夜隣室にいた元気なイタリア組とオリビアが先客だった。私たちが明日レオンでいったん帰国して又来年歩くことを告げる。お互いの健康を祈って別れる。きっとオリビアはあの後サンチャゴまでを歩いたことだろう。
少し歩くと同室だったドイツのおじちゃんと再会。彼は物静かで、私達の就寝後何時ベッドインしたか全く気がつかなかった。彼曰く自分は高齢者なのでゆっくり巡礼をされるそうだ。
普通自転車組はアッという間に去って行き、途中で出会うことなどめったに無い。彼は本当に紳士だった。
ここから又一本道が始まる。ベルシアーノス村に入ると道路にバルの文字。ここでバルによるわけにはいかないなぁ。音楽とともに移動食料店のオープン!オカミサン達が出てくると同時にパラリ!オカミサン達が「雨だよ雨だよ」と声をかけてくれる。「ありがとう!」と笑顔で答えて先に進もうとした時“バリバリ・ドカーン”これはいけません。相当大きな雷です。道路のバルの文字にしたがってとりあえず雨宿りをしなくては!
やっと開いたばかりのバルに飛び込む。トイレと雨具に着替え、暖かいチョコレートで体を温める。
そこへ数人の男女が−やはり雨宿りだろうか?−飛び込んできた。アルギミロとの出会いであった。
彼は生ハム職人なのだ。彼らは飛び込んでくると手持ちの生ハムをきり始めセルベッサを注文すると宴会を始めてしまった。大きな生ハムを、体を使って切り始める姿に思わずシャッターを押してしまった。
勿論断りは忘れない。そしてそのハムをご馳走してくれたのだ。
大層喜ぶ私たちにすっかり気をよくした彼は残りを全部プレゼントしてくれました。イベリコハムは有名だ。しかし、彼はこの地方特産の牛肉のハモン「セシーナ」つくりの職人さんでした。
雨は長くは降らなかった。歩き始めた私達はフランスのオッちゃんに出会う。彼は馬小屋で雨宿りをしていたのだ。最初はなんだこのフランス野郎なんて思っていたオッちゃんでしたが、この頃には多少お互い気持ちがほぐれてきました。でもやっぱり頑固者です(笑)エル・ブルゴ・ラネーロまで同行することになる。
彼はここの宿に泊まるとのことでお別れです。最後に明日はレオンから帰国する旨を伝えると彼は貴方達の笑顔がとてもすばらしかったと別れを惜しんでくれました。オッちゃん!優しいフランス紳士だったんですね。ちゃんと英語で私達にねぎらいの言葉をいただきました。“メルシーボクー”
更に私達は歩きます。その頃Aさんの肉刺は最高潮に達していた。彼女の根性には脱帽です。向かい風の中を3人は言葉少なく歩いていました。そこへ車が横付けして、マンシージャ・デ・ラス・ムーラスまで乗っていけと言うのです。知らないおじさんには着いていきません。でもこのスペイン人ずいぶん強引です。よく見ると今朝のハムのおじさん!レリエーゴスで泊まる予定だった私達に、彼の生まれ住んでいるマンシージャ・デ・ラス・ムーラスに是非泊まるように勧めてくれているのです。
アルギミロはなんといっても聞き入れません。私達は彼の好意を受けることにして車上の人となりました。
15時半頃にアルベルゲに到着、5時にお茶の約束をして彼は帰宅。彼のお宅訪問です。9月からマドリッドの大学に行く息子さんの通訳でお茶が始まりました。息子さんが、父はお茶なんて入れたことが無いと笑っていました。彼は息子さんがとても自慢で、日本にも興味を持っているので私たちに会わせたかったのでしょう。
面白いことに侍について質問がありました。「日本では着物とちょんまげが今でも?」との質問に苦笑してしまいました。そして、実情を説明して「では侍とは?」にしばらく思案した私は、アルギミロを見ていて"貴方そのものが侍かも知れない"。彼は多分理解してくれたと思います。
マンシージャ・デ・ラス・ムーラスは古い城壁に囲まれた城下町彼が愛して止まないこの町を薦めてくれたことが町を巡って体で感じ取れた。
私たちがアルギミロのお宅へ行くとき アルベルゲの台所で夕食を作っているグループがいた。皆でせっせとジャガイモをむいていました。 |
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お茶から帰ってみるとスペインオムレツのパーテイ真っ盛りだった。そして実はもうひとつハプニングがあったのです。私たちのベッドが無い!今夜の宿は???お茶どころではなかったのです。ホスピターレから新しいベッドが20人分来るので大丈夫。貴方達はお友達のところへ行きなさい、と言ってくださいました。到着を待っていた2段ベッドが出来上がっていた。私達はお初で使わせていただいた。
6月16日(金) マンシージャ・デ・ラス・ムーラス〜レオン 28,549歩(しっかり26,050)24.3キロ
すばらしい出会だった思い出を残して今日は最終日です。前半最終地レオンは直ぐです。
朝から初めての本格的な雨です。ここ数日はパラリと降ることはあってもほとんど晴天に近い巡礼でした。
最後くらい経験させていただくのかな?止みそうも無い雨にいつもよりかなり遅い出発です。
1時間半くらい歩いてプエンテ・デ・ビジャレンテのバルで休憩です。
休憩しているうちに雨も小降りになり足取りは軽くなる。レオンまで12.7キロ!
都会に近づいてきたのだろう、道路工事中が目立つ。下り坂になってはるか前方を見るとレオン町が見えた。
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ホンタナスからお互い前後していたドイツのご夫婦と出会う。控えめな奥さんとは2,3言葉を交わしたことは会ったが、ほとんど交流らしきものが無かった。寡黙がちで頑固そうなご主人も声をかけあうことも無かった。
それでも久しぶりにお会いして思わず双方微笑んでしまった。そして驚いたことに、あの寡黙なご主人が、写真を撮りたいとの申し出。いまさらながら人との出会いのすばらしさに感動してしまった。なかなか声すらかけることが出来なかったご主人、貴方はとてもシャイな方だったんですね。
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レオンだ!大きな町は到着してからが長い、これはブルゴスでも経験済みだ。17日間頼りにしてきたホタテの目印を探しながら広いレオンの町を歩く。
13:30ユースホステル兼アルベルゲに到着!
ああ終わってしまった。このままサンチャゴまで歩きたい!
皆どうしているのだろう!17日間の思い出が走馬灯のようによみがえる。欲を言えばきりが無い! |
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ここまで歩けてこんなにいっぱいたくさんの人々との出会いに恵まれて自分の幸せに感謝します。
今回、歩かせていただいた、家族を始め大勢の方からのご親切のおかげです。
ありがとう“Muchas gracias”
レオンの町は到着後ゆっくり見物することが出来ました。
レオンに関しては他の機会にご紹介いたします。
残りの巡礼の道は今年5月30日に出発します。レオンからの出発です。 |
2006年3月12日
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