ぶらり・ぶら~り
第166回 神々の国ギリシャへ (2018/05/31)
以前、旅番組で、テッサリア地方ピンドス山脈の麓にあるメテオラの天空の修道院が紹介された。石や岩が好きな私はいつかは行ってみたいと思っていたが、今年ふっと心が動いた。格安のフライトを探すと私の懐事情より高めだった。思案していると「フリーツアー」の文字!検索していたフライト価格と同じ数字が飛び込んできた。しかもそれはホテル代込だった。8日間の旅は少し短期間だが諸々の事情を考え行ってみる事にした。
2人部屋が最低価格、自由な旅に耐えられる旅仲間Kに連絡。それと声をかけて欲しいと言われている友人A,N2名に、現地では個人行動の条件で声をかける。以前一緒に旅をしてお互い知る者同士と私の4名で行くことが決定。
KとNは私と同年齢だが二人とも現役で仕事を持っている。二人の仕事でなんとか都合できる日程を選び5月中旬に出発。飛行機はカタール航空、ドーハで乗換え、初体験で楽しみ。JALとの提携便でマイルが加算される事が嬉しい。
5月17日(木曜)22時20分成田発
成田22時20分発のフライト、旅行社からは2時間前チェックインをするよう連絡が来ていた。以前中近東の会社のチェックインは1時間位早かったので出発3時間前に集合を決める。
3時間前に行ってみると既にチェックインは始まっていた。手続きは無事終り出発を待つ。
5月18日(金)ドーハ〜アテネ
成田から11時間40分後に乗継ぎ空港ドーハに到着。楽しみの映画がなぜか観ることができなかった。夕食の赤ワインが効いていたのかぐっすり寝てしまった。3時間の乗り継ぎ時間も瞬く間に過ぎ午前7時10分定刻通りドーハを出発、目的地アテネに12時10分到着。
今回の第一目的のメテオラ観光を、東京マリソルというギリシャ専門の会社にお世話になる事にした。汽車の予約、宿、タクシーの手配をお願いした。そのアテネ⇔カランバカ間の列車のチケットをシンタグマにあるオフイスへ受け取りに行かなくてはいけない。観光は到着翌日の早朝なので空港から直行。幸い、オフィスのあるシンタグマは、空港から一番便利なX95番のバスが直行する場所にあった。
シンタグマは政治・経済・文化の中心地、アテネのへそとも言われるところだった。
バス停は解り易く、チケットを購入後数分でバスはやって来た。バス乗車後は、刻印機での打刻を忘れてはいけない。ごく稀に検札があるらしくうっかり打刻しないと60倍の罰金となる。
地図を片手にオフィスへ向かった。そんな私達に声をかけてくれたのは、かなり高齢そうな紳士。彼に「この辺りは何かと物騒だから気をつけて。リュックは背中でなく前にかけなさい」とご注意いただいた。そして、その会社なら知っているとご案内もいただいた。オフィス到着後この話をするとスタッフの皆さんご存知の方でした。何と運の良い私達。
用件を済ませ明日の昼食をスーパーで買い込みタクシーで予約したホテルへ。ホテルは地下鉄と列車の駅から徒歩2分の場所にあった。
明日の為に4人で駅を下見、汽車のホームを確認後ホテルに戻り就寝。
5月19日(土)アテネ〜カラバンカ〜メテオラ
本日の予定は08:20アテネ発~13:18カランバカ着。
駅のホームでは大勢の人が汽車の到着を待っていた。国籍は様々だった。
汽車が到着して出発するまでのわずかな時間に自分の予約席を探さなくてはいけない。車両番号が解りづらかった。なんとか出発までに私達は指定席にたどり着く。車両にある番号ではなく臨時に車両番号が貼られた紙が正式なものだった。
汽車の旅は快適だった。外の景色よりおしゃべりに夢中になってしまった。
用意した昼食を11時頃からいただいた。量が多くて結局はこの日の晩餐になってしまった。よく遅れるとの前評判だったが、少し遅れただけでほぼ予定通り到着。
駅からは巨岩、奇岩が目の前に現れ迫力満点だった。
メテオラ見学は、チャータータクシー、1泊2日の現地ツアーとして申し込んであった。ゆっくり観たかったので、6つの修道院を2日かけてまわることにした。初日2カ所、翌日4カ所の見学を希望。
現在活動中のメテオラの6つの修道院です。
大メテオロン修道院 | メテオラ修道院群の中で最大の修道院。14世紀中頃に建立された。 |
ヴァルラアム修道院 | 1541年に建立された。大メテオロンのすぐ隣に立つ修道院である。 |
ルサヌー修道院(尼僧院) | 16世紀中頃に建立された。現在の修道院は1545年の創立。垂直に切り立った岩の上に三層建ての修道院の建物が建つ。1950年以降、女子修道院となっている。 |
聖ニコラオス・アナパフサス修道院 | 通常聖ニコラオス修道院と略称される。14世紀にラリサ府主教・スタギ(現カランバカ)・ニカノル修道院の聖ディオニシオスにより創建。 |
アギオス・聖ステファノス修道院(尼僧院) | 修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、1367年に共住の修道院として創建された。ルサヌ修道院同様に女子修道院。ここから下に見えるカランバカの街は絶景です。ここだけは沢山の階段を登らなくても大丈夫 |
アギア・トリアダ修道院 | 1475年、ドメティオスにより創建された。至聖三者に捧げられた修道院。際立って美しい奇岩上にあり、絵ハガキなどによく使われます。 |
メテオラとは「宙に浮く」とか「空中に釣り上げられた」という意味らしい。
この険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りや瞑想に生きるキリスト教徒にとって理想の地だったのかもしれない。9世紀ごろ、奇岩群の洞穴や岩の裂け目に修道士達が住み着いていたのが始まりのようだ。
14世紀から16世紀にかけて修道院共同体が成立していたようだ。6千万年前に海底で堆積した砂岩が隆起し、浸食されて出来上がった奇岩群。
ツアーをお願いした時平日は修道院が閉まっている可能性が高い(多分、観光客も少ないので話し合って一つか二つを開いているらしい)ので土日がおすすめだとの事だった。信者でもない私達だが、できたら全部を見て回りたいと思った。どこも同じようで飽きてしまったなどのネットの書き込みがあったが、全部を訪れてみたかった。
駅前では予約したそれぞれの会社が客を待っていた。その中に私たちが予約したVasilis運転手がネームボードを持って待っていた。彼は7歳からここカラバンカに住んでいてここが好きだとの事。
初日の一つ目はルサヌ修道院でした。一人3ユーロ、女性は長ズボン禁止なので、入り口で巻きスカートを借りて入る。スカート着用の方はOK。Vasilisは、見学後必ず見学の後、修道院を遠目から見える所へ連れて行って、解り易く説明をしてくれる。
2つ目のアギア・トリアダ修道院からカランバカへ抜けるトレッキングコースがあるという情報がありました。修道院見学後Viasilisがトレッキング道の入口まで案内してくれた。一人だけそのままタクシーでホテル行き3人は歩く。道は思ったほど厳しくなかった。よく舗装されていた。ただ丸石が埋め込まれていて濡れていると滑りやすい道だった。写真を撮る余裕がなかった。下記のサイトを見つけたのでご参照ください。
1時間弱でホテルに到着、場所はホテルや土産物の店が立ち並ぶ賑やかな場所だった。
昼食の残りものだけでは物足りなく、一息ついた後、軽い食事のできる店を探しがてら、ホテルの前の通りをぶらつく。観光客が大勢食事を楽しんでいたが私達は中年夫婦が営んでいる小さな食堂に入ってみた。近所のお馴染みさんだろうか? アットホームな感じの店だった。私達はクルクルと焼けていた肉と飲み物を注文4人でシェアしながら戴いた。小腹を満たす程度で充分だった。
5月20日(日) メテオラ(修道院4箇所)〜アテネ
午前7時朝食です、食堂は日本人がいっぱいでした。聞けば、私達がフリーツアーを申し込んで来た旅行会社と同じで、おひとりさまツアーだそうです。一人参加でお部屋も一人。私達が座っているテーブルに同じツアーと思って座ったそうです。もちろん大歓迎でつかの間ご一緒に朝食をいただきました。
約束の9時、Vasilisやって来ました。2日目はメガロ・メテオロン修道院、ヴァルラーム修道院、アギオス・ニコラス修道院、アギオス・ステファノス修道院を見学しました。日曜日で大型バスが何台も停まっています。しかし車が動けないほどではありません。石段の昇り降りなど体力勝負です。
2日かけて6つの修道院をタクシーで移動しながら、ガリバーになったような気分で回りました。歩きながら修道院を訪れるグループと、車窓からすれ違います。ここに数日滞在して訪ね歩くのも良いだろうなあと、羨ましく感じました。バスは一日数本しかありません。どこへ行くのも日数が欲しいと感じたぶらりでした。
Vasilis運転手は、この日も、修道院へ訪れた後その背景を説明しながら、修道院が見える場所に連れて行ってくれました。。
行程を終えカラバンカ に戻って来ました。Vasilisとはお別れです。
彼は最後に商店街について簡単に説明などしてお仕事終了です。
アテネまでの電車は5時半出発です。昼食の時間はたっぷりです。
彼のお薦めのレストランへ行きました。
日本人の扱いに慣れているようでした。
彼らは私達を厨房に呼び寄せ、8つの大鍋を見せてくれました。
そこから好きな料理を選び、それに主食とサラダをつけてくれました。
1時間位すると、ギリシャ国内やヨーロッパの方々と思われる観光客がやって来ました。
彼らはどなたも厨房へいかず簡単に注文していました。
言葉や食生活の違う私達にはとても合理的な注文方法でした。
ショッピングの大好きなAとKはお買い物、私とNは公園でのんびりとした時間を楽しむことができました。
汽車がアテネに到着するのは午後11時過ぎ。予約をする時、治安が心配な私達にとってこの遅い時間が問題でした。しかし、ホテルまで徒歩2分なので本当にラッキーでした。
明日からはいよいよ自由なアテネ観光です。
長旅お疲れ様でした。それにしても良く歩きました。
アテネのお話は次回です。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。