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ぶらり・ぶら~り

第162回 古希記念のスペインの旅8 (2018/01/31)

5月11日(木)Palas de Rei 〜 Arzua 27.6k バス

リナはドクターストップで本日は歩き禁止、10時発のバスでarzurへバスで移動する。公営の宿は午後1時から翌日の午前8時までが決まり。バス乗車前とArzurではバルで時間を潰します。日本と違ってどこへ行ってもWi-Fiがあるのでタブレットでメールの確認や明日からの予定のリサーチなどやって過ごします。

Arzurの宿は3年前にも宿泊した所、今回は韓国の中高校生の修学旅行生でいっぱいでした。彼らは行儀の良い学生達だった。

Linaは明日からどれくらい歩けるのだろうか?Compostelaまで38kをどうやってたどり着けるのだろうか?ゴールのカテドラルには歩いて到着させたいと思う。ゴールまで4.4k地点のMonte do Gozoからなら歩けるだろう。モンテゴッソまでどうやって行けば良いのか?

あれこれ思案の末、バスと7k歩きでモンテゴッソに宿泊。翌日13日にカテドラルに到着する案を提示。Linaは一応OKを出したが納得できなかった。途中から前後顔を合わせていたサーファーのIvanがやってきた、彼は英語が話せるスペインの若者だった。

彼はLinaが歩きたがっていることを伝え、私の案について確認に来てくれたのだ。彼は二人の間を本当に気遣ってくれた。Linaの足の状態も含め私は予定案を説明。彼はそれが一番良い方法だと理解してくれて、Linaに伝えてくれた。

Ivanのおかげで明日からの行き先が決定する。そしてその事が私とLinaの関係を更に深めることになった。Ivanには本当に感謝だった。

5月12日(金) Arzua 〜希望の丘〜Compostelaバスターミナル〜Fisterra

前日お互いが理解することに時間がかかったのに「案ずるより産むが易し」とはこの事か?バス停へ行くとLinaが運転手に行き先を確認。その行き先は私が調べていたバスではなく、Monte do gozoへ約1K地点の停留所に到着。しかもそこにはバルがあった。朝食をとり目的地へ進む。言葉が通じるって便利だな!

コンポステーラに行く前に希望の丘へ彼女を案内したかった。
希望の丘でひと休みして、Linaが歩けるというので先へ進むことにした。予定より1日早く到着しそうだ。Composutelaの近くになると、Lina、突然Fisterraへ行こうと言い出す。自然に私も「OK行きましょ」と返事。
先ずはカテドラルを訪れその後Fisterraへ!と私の頭は決めつけていた。でもLinaのように発想が自由で良いのだ!私もこれからもっと柔軟な発想をできるよう心がけよう。

急遽予定変更で私達はFesterraへ向かっていた。バスはアルベルゲの前が終着地。すぐにチェックインの手続をとるが宿泊することはできなかった。アルベルゲは歩いて当地に来た巡礼者のみが泊まれる。バスで来た私たちは泊まれない。今まではいつもムシアを経由して到着していたのでいつもここに宿泊していた。

外に出ると私営アルベルゲの客引きが大勢いた。ここは言葉が通じるLinaにお任せ。海沿いの宿は一晩15ユーロ、快適だった。午後4時、Linaが、足は大丈夫だからと岬へ行く提案を出してきた。近くの海の博物館を見学後、巡礼者の最終目的地0地点まで歩いた。

フィニステーラ

下りは、足を痛めたLinaには厳しい道のりだった。午後9時半宿の近くで最後の晩餐?海の幸を堪能。

この旅、一番贅沢なご馳走

5月13日(土) Fisterra〜 Compostela

朝1番のバスでCompostelaへ戻る。バスターミナルからカテドラルまでは約2K。5年前もそうだったが、カテドラル近辺は来るたびにオフィスと荷物場預かり所の場所が変わっている。

10年前の巡礼では到着後ザックを持ったままミサに出た……そんな覚えがある。しかし、数年前からカテドラルには大きなザックを持ち込むことが禁じられた。巡礼者が年々増えているのだ。カテドラルの前にインフォメーションが移り、荷物もそこで6ユーロで保管。

インフォメーションはかなりの混雑でした。敬虔な信者のLinaにはミサに遅れないよう先に行ってもらった。手続き後カテドラルに入ると、顔見知りがいた。ボタフメイロ(大香炉)の儀式もLinaが見ることができて本当に良かった。

全員と記念撮影          彼は、全員のカメラで記念撮影をしてくれた

ミサも終わり後半出会った巡礼者とカテドラルの前での記念撮影。
この一体感は、何度味わっても幸福感でいっぱいになる。

5月14日(日)  Compostela 〜Leon

compostelaからレオンまで6時間強だが多分遅れるだろう(笑)
ポンフェラーダで一時休憩してレオンへ向かう。Leonに到着したのは夕方だった。Linaの夫TBがお迎えで、久しぶりのマンシージャの我が家へと思ったが到着したのはTBの実家だった。

TBのお姉さんご夫妻が帰宅の歓迎会をしてくださった。午後9時から食事が始まります。この時間なんてスペインではまだ宵の口でした。私もこれくらいでは驚きません、もうすっかりスペイン人なのだから!でもさすがに写真はありません。

5月15日(月) Leon〜Madorid

明日早朝に私は帰国です。空港近くに宿を予約してあります。ちょっと朝寝坊して台所に行くとTBが朝食を済ませてTVを楽しんでいました。私が挨拶をすると私の朝食を心配してくれました、そして大声でLinaを呼ぼうとするので慌てて止めました。

勝手知ったる我が家、こういうところは日本もスペインも変わりませんね。多分私の夫も同じ行動に出たと思います。もう私は客ではなくこの家の住人です。「お願い!Linaをもう少し寝かせてあげて!」Linaは一旦起きると休むことができないくらい忙しいのだから!何しろこの1週間、男所帯で各部屋は大変な状態でしたから。

次男坊のダニエルが私を外へ誘い出そうとしました。「えっ!今日私は夕方の汽車でマドリッドへ行くのよ」『わかってるよ!今日はここのお祭りなんだ、パパが笛を吹いて参加するよ』日本の豊饒祭のようなお祭りでした。

午後2時半、最後にお姉さんのお宅でランチ。TBの作ったハモンをダニエルがスライスしています。これは絶品です。お土産にスーパーのイベリコハモンを購入済みですが、彼のハモンほど美味しくはありません。美味しいものが大好きな夫に食べさてあげたいなあ (´v`)ニィ。ランチに出たので遠慮なく食しました。

TB特製のハモン    お姉さんの美味しいスープ

マドリッド行きの汽車は16時59分Leon発、間に合いました。
空港近くのホテルに落ち着き、Linaが別れ際に渡してくれた包みを開くと愛情いっぱいの大きなボカデイージョが二つ、ごちそうさまでした。

5月16日(火) 帰国

愛すべきスペインの家族です

帰国の飛行機は、乗り換えのパリまでは順調でした。トラジットの時間は充分あったのですがものすごい人でした。今でも理由がわからないのですが日本行きの飛行機にかろうじて間に合いました。
5週間の古希の旅は忘れられない素敵な記念の旅でした。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。