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ぶらり・ぶら~り

第158回 古希記念のスペインの旅5 (2017/09/25)

4月24日(月) Ponferada 〜Cacabelos 14k

Ponferadaのベッドルームは大きい。シーズン中は巡礼者たちでいっぱいになることだろう。
連日好天気で午後から暑くなると思われるため、早朝巡礼宿をでる。朝食はどこかカフェで取ることにしよう。

アルベルゲベッド・早朝出発・カフェ

アルベルゲベッド         早朝出発     カフェ

1時間半歩きやっとカフェに到着、誰もが同じ思いのようで既にカフェは満員。韓国の巡礼者が目立った。
結局カフェには1時間滞在。

昼どきにCacabelosに到着、Linaがアルベルゲを探し始めた。少し早いかも?と思ったが何か考えがあるのだろうと従う。
今から考えると2つ考えられる。午後からの暑さを避けた?ここの教会と街に魅力を感じて滞在を初めから予定していた?

教会内 Cacabelosでもセマナサンタの行事があったのだろう

教会内 Cacabelosでもセマナサンタの行事があったのだろう

午後からはこの街をくまなく歩き回った。静かで良い街だった、どこにいても教会でのお祈りはかかさないLinaだった。

スペイン各地でキリスト像やマリア像をのせたパソと呼ばれる山車がここの教会にもあった。ここCacabelosでも教会から担ぎ出され、信徒や楽団を引き連れて町を練り歩いたに違いない。

翌日はMansillaに戻る予定日、ここからVillafrancaまで歩きバスに乗る選択もあったが大事をとってCacabelosからLeonへ戻る。

4月25日(火)〜28日(金)

Leonへのバスは1時間近く遅れ到着、獣医のTiviが迎えにきてくれた。帰宅後のLinaには家の仕事が満載だった。留守の間に冷蔵庫は空っぽ、洗濯物も山積み、彼女は家に着くなり休むことなく動き回った。

我が夫は私が長らく留守をしても大丈夫だが、建物の規模も違うこの家では彼女がいないとどうにもならないようだった。留守をするのもせいぜい1週間から10日位だろうか?

一体私はこれからどんな経験をするのか皆目解らないまま、スペイン語の勉強や「チョイ住みMansillaPart2」を経験する。

この4日間私は荷物の整理、メール、写真の整理などで時間を過ごす。
出発前は忙しくて髪を切る時間もなかったので髪をカット。

Leonのスーパーへ行ったりボランティアの事務局を訪問したり。Tiviは現地で演奏もするらしく新しく楽器を購入。

Ponferadaでお別れしていたTがLeonへやって来るというので待ち合わせてLeonでデート。スペイン語の辞書を買うのを手伝ってもらう。いつでもポケットから取り出せて調べられるミニ辞書を購入。

日本語以外の勉強をする時は外国語⇄日本語の辞書は正確性を欠くので外国語⇄英語の方が良いと思う。私の英語もあまり確かではないがネットの翻訳の力も借りて日本語英語で何度か訳した後、目的の外国語に変換すると、よりわかり易い言葉になるようだ。これで英語の勉強をするチャンスも増えたわけだ。それで?勉強の成果は?どうぞお聞きにならないでください(苦笑)70歳を迎えての勉強は大変で〜す。

4月29日(土)〜5月3日(水)ルルドでのボランティア活動
大型バス7台からの人々・到着した日のミサ

大型バス7台からの人々        到着した日のミサ

一体どのようなボランティアをするのだろう?前夜4人分のお弁当作りを手伝う。大きな顎が外れそうなボカディージョです。
出発は早朝6時、今回私たちがお連れするパーキンソン病のカルメンをピックアップ後、次男のダニエルがレオンバスターミナルまで送ってくれました。

大型バス7台が勢ぞろい、レオン地区からの患者さん達とボランティア達の大移動でした。普通バス移動では2時間経過するとトイレタイムですが、人数も多いせいでしょうか3時間後にやっと休憩。ここで昨夜作ったお弁当をいただきました。

ルルドの泉

ルルドの泉

滞在した観光地ルルドはフランスとスペインの国境になっているピレネー山脈の麓、フランス南西部に位置する小さな町。聖母マリアの出現と「ルルドの泉」で知られ、カトリック教会の巡礼地となっている。
フランス各地からスタートする巡礼者の多くもこの街を通過します。

今回信心深いご夫婦のご厚意により参加させていただき5日間貴重な経験をいただいたと思っています。
10年間巡礼の道を歩いていますが私はいつもチャレンジャーです。仏教でもキリスト教でもない私なのにボランティア受け入れていただきました。

私がお世話のお手伝いをしたのは7名の方でした。4名はある程度自分自身の事ができます。例えば着替えなど日常の生活はご自身で出来ます。
手早く出来ませんので付き添ってお手伝いをさせていただきました。

3名の方は起床から就寝まで人の手助けが全て必要です。3名とも身体が大きいので介護の資格を持った方やそれに準じた技能のある方がお一人に二人付き全てロボットの力を借りながらてお世話していました。

私は何の経験もなく足手纏いにならないよう努めるのみでした。
私達は近くの宿泊所に滞在して朝7時には病室へ行き患者のみなさんが就寝するまでのお世話をしました。かなりハードな日々でした、2日目の昼食後このまま宿泊所に戻る!何故か思ってしまった私でした。

彼女たちが自然に再び病院へ行く姿に内心「ああ!休憩時間なんてないのね!」とため息をついてしまいました。その時やっと私の腹は決まった感じでした。そんな中でも彼女らのおおらかさ元気さ脱帽でした。

ある日の深夜12時突然非常ベルが鳴り、驚いて廊下に飛び出しました。
皆が廊下に勢揃い、間違いのベルだった事がわかりました。
その時すぐに部屋に戻らないで音楽で踊り出したのです、いつでもどこでもお祭りになってしまいますねえ!ここで私も仲間にならなくてはと仲間に入り、スペイン人への第一歩でした。

ルルドには大小の教会がいくつもあります。初日から覚えきれないほど教会のミサに参加しました。初日は大きな教会で世界各地から信者の集まりでした。アジアからは韓国からのグループでした。

車椅子での移動・楽しいレクレーション

車椅子での移動      楽しいレクレーション

移動時は患者さんを車椅子で移動します。ここは私でもできる出番です徐々に腕が上がりました。そしてリクレーションでは歌ったりダンスを一緒にしたり楽しいひと時でした。手を叩くだけの参加者に積極的にアプローチをかけます。車椅子の方には手を繋いでリズムに乗っていただき、歩ける方とは無理のない程度に一緒に踊っていただきました。

ボランティア活動最後の日に撮った記念写真です。中間地点に青い色が車椅子この方達が患者さんで他がボランティアの皆さんでした。

ハードな5日間も過ぎてしまえばみなさんとのお別れが寂しくなります。
見慣れぬ東洋のおばあさんに皆さん優しかった。来年も来るの?なんてかけてくれました。日頃親が付けてくれた名前で呼ばれる事のない生活ですが一生分皆が私を呼んでくれました。8時間かけてLeonまでのバスの旅も充実感で満たされたものでした。

この歳でこんな経験ができるとは、人生何があるか解りませんね。
翌日から「チョイ住みMansilla Part3」が始まります。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。