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ぶらり・ぶら~り

第155回 古希記念のスペインの旅2 (2017/06/30)

思いがけずレオンの伝統的な祭り”セマナサンタ”を楽しんだ旅の始まりだった。
予定通り無事ホテルへ到着ホテルは快適だった。

4月12日(水)

翌朝、駅のカフェでサラダとパンを購入。車中で食す。
3年ぶりのSalamanca,地図を頼りに宿まで行く。多少迷ったが12時前にErasmus Homeに無事到着。チェックインは13時からだった。ロビーで若い人たちに混じって待つ。部屋は屋根裏部屋でフラットのベッドだった。私は一番乗り。

ベッドメイキング後3年前に泊まったアルベルゲへ直行。明日から歩くためにここでクレデンシャル(巡礼手帳)を手に入れたかった。しかしそこにはなく、サンエステバン修道院を探してカテドラルを中心に尋ね歩いた。Salamancaは有名な観光地で、ほとんどの人が地元の人ではなかった。
クレデンシャルはペレグリーノ(巡礼者)に取ってパスポートと同じ位大切なものです。巡礼者の身分証明書のようなもので、アルベルゲの受付時パスポートと一緒に提示します。

4月13日(木)Salamanca ~ Calzada de Valdunciel 15.5k

久々のスペイン巡礼歩き、心がおどる。以前コピーしていたSalamancaの地図を頼りに出発したがどうにも出口が解らない?

通りかがった男性に聞くと、持参した地図はZamoraの地図だった。「これはZamoraだよ!」と言っていたのに「はい!私はZamoraに行くつもりです。でも出口がわからない?」すると「これがZamoraの地図だよ!」こんな問答が数回あった後やっと私は理解したのだ。よく似ているが川の名前がZamoraの川だったのだ。質問はできても相手の言葉が聞き取れない。

再出発から方向音痴の旅は始まる。それでも間違いなくSalamancaを出発してZamoraに向かっていることを確信した私はルンルン気分で歩き出す。
途中オランダの母娘(母は私と同年)、ドイツ人のアンナ、昨年巡礼路で知り合いになったというシアトルとオタワの女性二人組と前後になりながら歩く。

12時少し前けたたましいラッパの音でワゴン車がやってきた、パン屋さんだった。
近辺にBarもレストランも見当たらない、ちょっと大きいけど買っておこう。

昼を過ぎた頃から疲れを感じる。それでも今回背中の荷物は7K、以前と比べると6kも少ない。私の体重から5kが適応まだまだ煩悩がぬぐえないと見える。15時すぎてアルベルゲに到着、残っていたのは2人分のベッドだった。ヤコブ様に感謝です。

入り口にホスピターレ(巡礼者をもてなす人)への連絡先が示されていた。早速電話で、日本からのペレグリーノ(巡礼者)が泊まりたい旨を伝える。ここは2人のホスピターレが担当しているようで彼らはボランティア。本日のホスピターレはマリアさん。先客にアンナがいて2段ベッドの下段を私に譲ってくれた。70歳悪くないです。

ここにはBarが二件あるが他は何もなく、多くの巡礼者は先のEl cubo までの35.4kを歩く。

4月14日(金) Calzada de Valdunciel ~ El cubo de la Tierra del Vino 19.9k

早朝7人の巡礼者は旅発ち、私が最後に部屋を点検・施錠をして7時半に出発。朝もやの中太陽が昇るのを眺めながらのスタート。

目標を逃さないよう気をつけて歩き9時半、たぶん5k地点。昨日ポスターにあった私営のアルベルゲ”Casa Saso”に到着。素敵な別荘といった感じ。5Euroの朝食をいただくことにした。

アンナが先客でいた、宿泊をしている中年カップル2組もお食事中。ひと組のカップルはオーストラリアから今年3月から11月までヨーロッパを回る予定だとか。話が弾み1時間半、ゆっくり朝食をいただき出発。

15時頃El cubo到着。El cuboに入って最初に出会ったアルベルゲに宿泊。私営のアルベルゲで一泊15ユーロだった。昨日より約4.5k多く歩きくたくた!宿泊を決定。お部屋は可愛いツインの部屋、今日は贅沢だなあと悦に浸っているとその後からの19歳の少年と同宿となる。

そうだ、日本のように男女別なんて考えはヨーロッパにはなく、入ってくる宿泊希望者は男女関係なく順番に部屋を決めてしまう。70歳のおばあさん慌てず孫と同年の少年に微笑みながら”Hola!”

スープがオススメだというので夕食もお願いする。食卓には赤&白のワインが添えられていた。今考えるとどちらかお好きな方という意味だったかも?日常アルコールをたしなむことはないが旅先では時々ワインをいただく私「あら!これはすごい両方揃えてあるわ!」と一人でいただいてしまった。ちょっと飲みすぎたようです。食後必死に乾いた洗濯物を取り込み爆睡Zzzzzz

4月15日(金)  El Cubo de la Tierra del Vino

~ Zamora 31.6k

宿を8時少し前に出発、昨日宿の前で出会ったアメリカの男性と一緒だった韓国?の女性と立ち話。足に豆ができていてバスでZamoraまで行くとか。昨夜同宿のLaraも足を痛めていたが私より先に出発した。が途中Barで出会い彼女はタクシーで先へ進んだ。

私は膝が悪く歩みは遅いが、足の裏の怪我を経験したことがない。どちらにしても痛さの辛さはよく解る。痛さも30年以上続くと仲良く付き合うしかないと思うようになった。今はご機嫌伺いをしながら歩くコツを覚えてこうやって歩いている。

さて久々の歩きで2日間は15~16k位のペースで歩いた。3日目の本日Zamoraまで2日間で歩くつもりだったが、途中半分の位置で宿が右方向へ2k歩かなくてはならなかった。

体調がよかったのでもう少し歩いて宿があるかも?とそのまま進んだ。しかし宿はなく、Zamoraまで歩くことになった。この時Salamancaと思っていたプリントが役にたった。
Zamora への入り口とも言える橋を目の前にしてホッとした。

午後6時半懐かしいアルベルゲに到着、ベルを押すとホスピターレがドアを開けてくれた。
「私のベッドはありますか?」ニコニコして「大丈夫だよ」と招き入れてくれた。
久々に30k以上を歩いた1日だった。手続きを終え部屋へ案内されるとあのアメリカと韓国のカップルと再会。すると彼が「チャーハン食べないか?作り過ぎた」と話しかけてくれた。彼は本来シェフだったらしい。彼女が話すとあまり知られたくない様子だったので聞き流すことにした。
もちろんありがたくお話を受け入れた、ベッドメイクとシャワー&洗濯を終え台所に行くと2皿のチャーハンがあった、一皿美味しくいただきました、もう一皿はイタリアのおっちゃんが美味しそうに召し上がっておられました。
その日はZamoraでもセマナサンタの祭りが8時からあることをホスピターレから教えてもらっていたが食後とてもその力はなく就寝。かなり有名なお祭りだったようです”残念!”

4月16日(土)Leon/Mansillaへ

3年前バスでパスをした区域を歩き終え、これからどうしようと思案。
Linaは昨日旅から帰宅したばかりだが??迷惑かなあ???

銀の道はこの先からふた手にわかれる、前回はオーレンセ経由だったので本当はアストルガまで歩きたかったが日数が足りない。少し進んでもLeonへのアクセスが不安だった。
大きな都市Zamoraからのアクセスが便利なのでこのままMansillaへ行くことにした。

ネットで調べると汽車があるようなので駅へ向かう。駅のすぐ手前にバスターミナルもあった。調べると10時にLeon行きのバスがあった。年の為に目と鼻の先にある駅で汽車を調べるとLeon行きの汽車はなかった。現地に行かないとわからない多々あるものだと思った。それとも私のネットでのリサーチが十分でなかったか?ともあれバスに乗ることにした。

バスは順調にLeonに到着、案の定Linaはてんてこ舞いの様子だった。Linaがおおらかなのかスペイン人のおおらかさなのか私は自分の家に帰った気持ちになった。
長男Marcosの部屋が私の部屋となり、忙しい母の為に次男のDanielがガールフレンドと近くの史跡とLeonの街を案内してくれた。

夕方7時近くマヨール広場でお茶をすることになった。若い彼らは食事の前のお茶だった。しかし私は夕方である事と疲労で帰りたくなったのだ。紅茶をやっと飲み帰りたい旨を告げた。この後わかるのだが、スペイン人にとって夕方6時からが活動タイムなのだ。
スペイン人に成り切るつもりの今回の旅、その時私はまだスペイン人にはなりきれないでいた。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。