ぶらり・ぶら~り
第86回 冬のアラスカ(3) (2011/09/22)
7日目 8日目 チナ温泉
チナ温泉は、約100年前にアラスカ・ゴールドラッシュ時代に発見されたアラスの温泉リゾート地です。ここで2泊オーロラへのチャレンジです。
http://www.chenahotspringsjapan.com/chsr%20history.html
敷地内に温泉はもちろん,アイスミュージアムや様々なアクテイビテイがあります。
私達は昼食をチナで取りたいと思い、その時間に到着するようにフェアバンクスのホテルにお迎えを頼みました。普通は決められた所まで行かなくてはいけないのですが、8名という人数だったのでホテルまでお迎えがありました。
私達は、奥のファミリー用ロッジを二棟借りました。トイレと洗面所を挟んだツインルーム二部屋が一棟です。ここは日本のツアー客が毎晩のように泊まるようで、日本語の出来るスタッフがいます。日本人と解ると直ぐ彼が対応してくれます。
メインロッジの奥がレストランです。ここで私達は3食頂いたのですが、夜更かしで起床時間が
まちまちですので、部屋単位で朝食と昼食をする事にしました。
お湯が沸かせましたので、部屋で手持ちのもので済ませた事もありました。
敷地内にアクティビティセンターがあり、その側にオーロラ観測サイトがある。しかし、山頂の方がオーロラ観測にはより可能性が高いとの事、駄目元で今夜と明日の夜の山頂行きを申し込む。防寒具は無料で借りました。
午後9時に集合してキャタピラ雪上車で山頂に登ります。大きなゲルの様な円形テントが2つ用意されている。中では暖をとる事が出来る。また、お湯が沸いていてセルフサービスで温かい飲み物やカップラーメン等自由に口にする事が出来る。
但しオーロラを見る事が出来なくても
初日、期待にむね膨らませて私達はキャタピラ雪上車に乗り頂上へ。スタッフがここで写真を、とのすすめで我らシルバー軍団元気です。ところが、残念な事に雪が降り始めました。テントで雪が止むのを待ちます。
雪はだんだん激しくなります、日付が変わる頃には寒さと旅の後半で疲労が頂点に達していました。
私達にはまだ明日があります。ロッジへ戻る事と希望してその夜のオーロラは不発に終りました。翌日は、温泉に入りゆっくり休養を取り、オーロラ観測に臨みます。
再び頂上に到着すると月が出ています。期待が深まります、テントでホットチョコレートを飲みながら連絡があるのを待ちます。
11時頃から出るとの事でしたが、10時を少し過ぎた頃から出始めました。“やったー“待ちに待ったオーロラです。私のデジカメでは全く写りませんでした。
でも、ご一緒した方に、カメラの腕を磨き続けている節子さんがいます。彼女のカメラにはしっかり写っていました。ご本人に寄るとまだ満足の行くものではないようですが、私達には宝物の様な作品を残してくれました。数枚をご紹介します。
8日目 Aurora Borealis Lodge
昨夜は2時まで粘りました。やっとオーロラに出会えて満足でした。
今日はAurora Borealis Lodgeへ移動です。熊谷さんとスーパーで待ち合わせです。ロッジは自炊なので、3日分の食料を揃える為です。電子レンジ、オーブン等揃っています。
このロッジでもオーロラ観測のみの予定です。明るいうちは、各自部屋で編み物をしたり、散歩に行ったり、写真を夢中でとっている人、いろいろです。働き者ばかりで雪かきもしていました。ぶらりは夫と一緒でしたので、3食作ったり洗濯をしたりでいつもとあまり変わりませんでした。メンバーには結構お料理が上手な方が多くて、寿司パーテイもしました。
ロッジには団体用のオーロラ観賞ロッジがあり、奥様のご両親が横浜からお手伝いにいらしていました。素敵なご夫婦でした。また、オーロラの写真はこのロッジで過去に撮られたもので、私達滞在中には残念ながら見る事が出来ませんでした。
最後のチャンス、ロッジでのオーロラをご覧ください。毎晩星空が奇麗で、天の川が見える程美しい夜空でした。なかなか思う様なオーロラが現れません。始めの二晩は細く横に流れる様なオーロラでした。そして、最後の夜です、私達のフライトが午前1時半でした。
一晩泊まる予定が、その日の午後11時には飛行場へ向かって出発です。車に乗る時間がやってきて、荷物を積み始めたその時でした。空の動きが変です。最後に私達にプレゼントでした。
私達今回の旅のフィナーレでした。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。