ぶらり・ぶら~り
第81回 「東北地方太平洋沖地震」 (2011/03/25)
最初の地震を感じたのは出先の車の中でした。
揺れが収まるまでその場で待ちました。
目的地までは2分くらいの所でしたが、即帰宅しました。
途中は信号が消えていました。
幸い家の中は少しの本が散乱していた程度でした。
その時はまだ結構大きい地震だったと思う程度でした。
それからの事は報道等でどなたもご存知の通りです。
私の育った九州や山口県、旅や歩きで知り合った人々、夫の親戚友人からも心配する声が数日届きました。先ずは電話が通じないことから不安が増したようです。
携帯には電話が通じないので着信の連絡がdocomoから届きました。
メールが作動しましたのでとにかく無事である事を伝えました。
今回一番驚いた事は、5年前脳梗塞で言葉が不自由になった級友からの電話でした。発病以来ご主人の介護で大分回復していたのですが、話がうまく出来なくて近くのスーパーにも行くことを渋っていました。人と出会う事が苦痛だったようです。その彼女からの電話でした。一生懸命話す彼女の声が嬉しくて励まされました。
インターネットが通じていました。
海外からも心配してくれる友人たちが連絡をくれました。
先日こちらから無事を確認するメールを送ったばかりのクライストチャーチのウエンデイから「津波に寄る破滅的なニュースにショックを受けています。私達はすべて互いに支援しています。今から被害を受けた全ての人々の為にお祈りに行きます。」オランダからは「私達は今からローソクを持ち教会へ行き祈ります。貴方達は決して一人ではありません」アイルランドからは日本人の若い友人から安否を心配するメール等、皆が私だけの為ではなく私達日本という国を案じてくれていました。
携帯に巡礼時お世話になったハムおじさんこと獣医のテイービーからは電話があり、4度目で通じたようです。スペイン語での電話にはなかなか意思の疎通が容易ではありませんが、彼らの温かい気持ちが感じられました。英語が出来る息子さんに「英語で○○はなんて言うんだ?」と聞きながら慣れない英語の単語で私達に言葉を伝えようとしてくれました。陽気なラテン系の彼らの明るさに思わずこちらも笑いが出ます。笑いという行動は体中に力を与えてくれるような気がしました。
スイスの旅ではいつもお世話になったグリンデルワルト日本語観光案内所からのメルマガでは、3月16日2人のスイス人女性の声から急きょ約400名の人々が集まり10,000フラン以上の募金が集まったそうです。集会では日本の旗を人々が作って「がんばって!」とのエールを送ったそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=fwLD-ImTBx8&feature=BF&list=ULt9Z1dhRI6YY&index=5
http://www.jibswiss.com/nikki-2011-0301.html
「大丈夫」の声も、メデイアから流れる状況に「本当に大丈夫?」心配した身内や友が「何か不足するものがあればこちらには何でもあるから送るよ」有り難いことです。被災地圏内にある我が家でこんなにしていて良いのか?
自責の念に駆られそうです。
ライフラインに恵まれた我が家でした。これに甘える事無く、日々の暮らしをしています。友人も私も必要な買い物は片道30分位でしたらザックを背に歩いています。これだとガソリンを使うこと無く買いだめも出来ません。節水節電と更にスキルアップしていきたいと思っています。
もう一つの私の課題は、60代半ばを目前にして、出来るだけ人の迷惑にならないように自分の事は自分で出来て、少しだけ人のお役に立てるの体力を維持していけたらと思っています。
4月の歩きの定例会を中止にしました。そして、行ったつもりで皆で義援金へ募金をすることになりました。その義援金ですが、私が知るANA,JAL ,DELTA等たまったマイルで寄付をすることが出来ます。中途半端なマイルが貯まっている方はいませんか?そんな方はそのマイルを使っても義援金となります。他にもカード会社やサイトで結構あるようです。これも今私に出来ることでした。
“もし出先で、地震が襲って交通機関がストップしたら!”
そんなことを想定して毎年阪神大震災のあった前後の土曜日に実戦訓練(サバイバルウオーク)を10年間続けています。参加者は年々減少状態ですが、来年の課題、考えさせられます。
http://www1.accsnet.ne.jp/~tabibito/www1.accsnet.ne.jp/sabaibaruuoku.html
問題はこれからだと思いますが、風評に惑わされること無くしっかりと状況を把握して行動をして行きたいものです。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。