ぶらり・ぶら~り
第157回 古希記念のスペインの旅4 (2017/08/29)
4月20日(水)
Villadangos del parame〜Puente y Hospital de Orbigo 12.53k
Villadangosを8時に出発、道は平らで歩道がしっかりとあるので歩き易かった。この道は10年前とほとんど変わりがないようにおもえた。
昨夜遅く到着した自転車青年が私たちに追いついて来た。昨夜何やら問題がありそうな青年だった。女性二人の私たちに声をかけて来たがLinaは取り合わなかった。しかし、彼女が不快感を持っていた事だけは私にも解った。その青年がまたLinaに声をかける。
Linaは相当怒っていたが、彼は諦める事はなく歩きながら説明を始めた。二人はかなり言い合っていた。もちろん会話の内容は全くわからない。私は全く理解しないながらも何かがあったらしっかりサポートをする覚悟だけはしていた。
そのうち二人の誤解?は解けた風で、彼女は自分の住んでいる家の話(これだけはなんとなく解った)をして、ついでがある時は是非来るように薦めているのだ。彼女はいっぽん気で、相手にひるむ事なく自分の意見を言い、相手の懐に飛び込んでくる。気に入ると、自分の家へお誘いの言葉とアドレスを伝える。私が居心地よく彼女たちの家に10日近く居候できたのもそのおかげだろう。
そんな時、私は心の中でLina!そんなこと言って大丈夫?と叫んでしまうことも多々あった。
何はともあれ、問題は解決したらしく、出発から12.5k地点のOrbigoに到着。昼前だと言うのに彼女はここで泊まりましょうと提案。
10年前に通過したところだ。レオンから25k地点で歴史的な場所でもある。多くの巡礼者が泊まるらしくアルベルゲ(巡礼者の宿)やホテルがいっぱいあった。
2日後知り合った日本の女の子Tも、途中から他の巡礼者から良い所と聞き引き返して来た。今までの私は、心が少し動いても前進のみを考えてまた引き返すなんて思ってもみなかった。彼女のようにそれ位の余裕を持つ気持ちは、大切だなあと感心してしまった。
歩き始めてわずか2日目だが私たちは神様からバカンスをいただいたようだ。村中を散策、その度にLinaは感激して、五感の全てを使い切るかのようだった。
宿泊したアルベルゲはホテルとレストランに巡礼者の為に併設されていたようで、掲示板にはマッサージや次のアルベルゲの情報も掲載されていた。
4月21日(木)
Puente y Hospital de Orbigo 〜 Astorga 16.2k
8時40分アルベルゲを出発。
10時二つのアルベルゲのあるSantibanezを通り抜ける。
アップダウンの赤い道の途中、案山子に癒されて進む。
昼近くになると、青年が巡礼者の為に休憩所?を開いている。お代は箱の中に寄付!途中無人の水もあった。詳細は解らないが有機食品など取り扱い活動をしている団体があるらしい。日本製の瓶詰め有機製品なども置いてあった。ビジネスとも思えない?
14時アストルガ到着、この日は太陽が照りつける熱い日だった。
途中Linaから「この景色覚えている?」と聞かれたが、10年前は進む事に夢中で景色を楽しむ余裕はなかったようだ。
公営のアルベルゲに宿泊、サモラで出会った青年達と再会。
4月22日(金)Astorga〜Rabanal del Camino 20.6k
昼を過ぎる頃になり太陽が頭上で照らし始めると、Linaには堪えるようだった。日常、朝はゆっくりの生活をしている彼女だがこの暑さには耐えられないと、少し早い出発に決定。
3日目になると少し慣れたようで本日は20kを歩く。道は平坦で迷うこともなく進む。途中日本人で一人巡礼をしているTと合流、本日の目的地まで一緒に進む。
到着地ではアメリカ人の女性が営んでいるアルベルゲに逗留。
彼女は昔、韓国で英語の教師をしておられたとか。同宿の韓国の青年が私の二番目の孫にそっくりでした。写真を撮らせてもらい孫の写真を見せ、孫にもLineで送ると二人とも似ていると驚いていた。
4月23日(土)
Rabanal del Camino 〜Ponferada 14k
この日はのっけから山登り、最初からこの山はバスの予定だった。しかしバスは通っていなかった。
10年前は荷物を私営のホステルまで一つ20€で配達してもらったが、今は5€で予定地まで運んでくれる情報をゲット。私は荷物を背中のリハビリ代わりにしているのでそのまま背負って進み、LinaはPonferdaまで荷物を送った。
本日のハイライトはLa Cruz de hirro鉄の十字架。10年前通過したところだったが、すっかり整備されていて駐車場も完備され観光地になっていた。距離にして7.2kだが標高約200mは結構な坂。さらなる試練は約9kのほぼ同じ位の標高の下り坂。足に堪えたがEl Acebo到着。
Ponferadaは予定の半分の距離だった。朝用意したお弁当を通りのベンチでいただいた後、カフェで一息。
そこに熟女3人とワンちゃんが我々のテーブルの隣にやってきた。Lina が足りなかった椅子を用意して瞬く間に親しくなる。
4人で話がはずむ!もちろん私には全会話は理解できない。
ただニコニコしているだけだった、テレサ、パス、マルの仲良し3人は愛犬キャサリンと一緒にこのEl aceboに遊びに来たそうだ。Ponferadaは帰り道なので送ってくれることとなった。
ありがたい話だったが、それから3人の食事を含め2時間以上お喋りが続いた。彼女達の見物が終わり出発したのは既に5時を過ぎていた。
いよいよPonferadaと思ったら途中、四国香川県歌津町と交流関係にある世界遺産モリナセカ村を見学。はるばるハポンから来た私へのおもてなしだったのではないだろうか?
感謝!
目的地ポンレラーダの到着は7時を過ぎていた。4月でベッドはたくさん空いていてホッとする。内心アルベルゲのチェックインが終わるのではないかと心配していた私でした。
大丈夫と時間が迫っても慌てることのない彼女らは、おおらかなスペイン人。気がつけば午後7時、夕食にはまだまだ時間があるのにヤキモキしていた私。
遅い夕食、両ほほにキスしながらの抱擁と挨拶など形だけはスペイン人近くなったが、おおらかな考えのスペイン人にはまだ慣れていないようだ。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。