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ぶらり・ぶら~り

第143回 ムーミンが誕生した国って?/旅準備編 (2016/06/29)

ほんわかとしたアニメ「ムーミン」の存在はなんとなく知っていた。
私が母となったのが1972年、子供たちがTVを見る頃にはすっかりムーミンは定着していた。特別「ムーミン」のフアンでもなかった私です。

母となった日から44年間、自然に私の体の中に「ムーミン」が入り込んでいました。来年は古希を迎える私が何故か「ムーミン」が気になりだした。

01image002lひょんな事から「ムーミン」のバックを手に入れると私の中に「ムーミン」ブームが始まった。あのなんとも言えない雰囲気、空気にはまってしまった。「ムーミン」誕生の国に行ってみたくなった。

加えて昨年夏TVの番組で見たテンペリアウキオ教会とアーテイストの町フィスカルスにも興味があった。

思い立ってから話は急展開、飛行機とホテルのセットでも探してみる。
しかし、短期間なものばかり日程が延長できるものもあるが急に価格が上がる。
探しているうちに、自分でやったほうが早いかも?飛行機を検索するとヘルシンキへは決まった時間しかない。それならホテルは好みの場所に取る事ができるのでいつものように予約をとってみる。

ツアー探しのおかげで思わぬところへ行くヒントを得る。
バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国の首都Tallinn。
Tallinnという場所さえ知らなかった私。

1980年代後半、素点の崩壊の兆しとともに独立機運が高まる。
1989年にはTallinn、利が、ヴィリニュスのバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動(バルトの道)に100万人が参加。1991年独立を達成した国。

Tallinnは風情溢れるオールドタウン(旧市街)は、中世の通りや尖塔が混在する町だった。Skypが開発されたのもタリンだそうだ。

チケットはヘルシンキ行きもタリンも料金は同じだった。
ついでに寄って行こう!ツアーを調べた時ほとんどタリンは3泊の予定が組まれていた。何も考えずにタリン3泊を含めたチケットを購入。格安のチケットは日々料金の動きがひんぱんだった。中身は後から考えて10日の旅を決定。

次は旅の中身を作る段階です。タリン3泊後はフィンランドへ、ヘルシンキに5泊??どうしよう??
(1) アーテイストの街フィスカルス(ヘルシンキから最寄駅Karjaaまで1時間半)
(2)西の古都トウルク(フィスカルスから電車で約30分)
(3)ヘルシンで3泊(ここでの行動は後で考える)

大まかな日程決定後は宿探しです。今回は結果Booking com.を検索して決定。

02image004l*到着地エストニアは割と安い、ツアーに3泊入っていたのは安さからかも?街の中心地のベッドルームが2部屋あるアパートを予約。出発前に住所が変更されていたので少し焦ったが、行ってみると受付の事務所で前の住所がアパートだった。事務所は街の中心地で5分ほど歩いた所が宿だった。
03image005l*フィスカルス:調べた時はホテルが2件のみだった。そのうち一件はお休み中でレストランのみ営業だった。もう一つはかって製鉄業だった歴史的な建物を利用したホテルテーゲル。旅の記念に1泊予約。私の感覚では少々高級ホテル並みの料金だった。街を歩いてB&Bもある事が判明。次回また来る事があればここにしよう。
04image007l*トウルク:駅から歩いて行ける距離、しかも格安。予約に使ったBooking.comは現地払いが多いのだが、ここだけは早々とクレジットから引き落としになった。そして宿泊者のパスポートの情報を求めてきた。現地に行って納得。メールで部屋番号とパスワードが送られてきてセルフで部屋までたどり着くシステム。移動中メールのチェックを怠り入り口で右往左往してしまった。これも良い経験だった、このシステムも良いかも?
05image010l*ヘルシンキ:駅から徒歩10分。探しながら荷物を弾きながらの10分は不安でタクシー に乗る。到着するとしっかりとしたデスクがあり聡明そうな女性がテキパキと事務処理をしてくれた。初日には知る余裕がなかったがサウナを見つけ2日間堪能。テンペリアウイオ教会は宿から歩いて5分の所だった。
チケット、10日間の行程それに宿決定と準備が整った。
細かい行動は、出発まである程度調べ現地で決めることもある。
旅の始まりは通常このようにしてきます。
この作業が面倒と思う方も多いが私はこの作業が結構たのしい。
面倒な方は、プロの作成したツアーがおすすめです。
どちらで行っても旅はたのしいですね。
ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。