ぶらり・ぶら~り
第139回 歴史の街水海道 (2016/02/29)
今は常総市となった水海道、名前の響きが好きです。
長年いつか歩いてみたいと思っていた街です。
車で30分のところですが、公共の乗り物で行くのが好きな私です。
我が家からは、つくバスでTXのみどりの駅まで行きます。
TX線で守谷駅まで、常総線に乗り換えて4つ目の水海道駅から出発。
本日のコース:水海道駅前(7分)→二水会館(7分)→絵画の道(18分)→冨山倉庫(3分)→豊水橋(15分)→安養寺(35分)→弘経寺(15分)→法蔵寺(20分)→安楽寺(45分)→三妻駅(時間は目安です、)
駅前は広々としています。左方向へ向かいます。信号のある大きな交差点右手にコンビニがあります。
信号を渡って左方向に曲がると二水会館です。
二水会館の事は下記のサイトをクリック。
http://www.joso-kankou.com/page/page000118.html
一度スタート地点の駅へ戻り、駅を右にして左折。
この通りが絵画の道、映画好きの私は素通りできません。「寶萊館」という元映画館跡地です。駐車場になっているようですが壁にはヘップパーンや全盛期の日活映画のポスターです。絵画の道を歩くと、レトロな建物や誰か書かれたのかスタンドに建てられた絵を鑑賞できます。
通りを抜けT路地を左折、大きな信号のある四つ角を超えます。
まっすぐ進むと左手に「北川質店」がありその先にも交差点あり。
ここを右に進みます。そこから豊水橋までに左手に富山倉庫や観水公園、右手に五木田邸レンガ蔵があります。
富山倉庫では今でも代々お商売をやっておられて現社長さんにお話を伺いました。
倉庫を見せていただきました、今はプライベートに使っておられますが5年前の大震災時びくともしなかったそうです。とても太っ腹な社長でした。
社長のお話では昔江戸への運送はもちろん船、当時渡し場が5つあったそうですが今残っているのは一つ、富山倉庫奥の土手です。
http://www.uraken.net/rail/travel-urabe277.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~komichi/Home_page/kanto/mitukaido.htm
豊水橋を渡り信号を右折します、鬼怒川を眺めながら土手沿いに安養寺まで歩きます。こんな静かな川が昨年洪水を引き起こしたとはとても信じられないほど穏やかでした。
安養寺は鎌倉時代横曽根村板巻に創建された分秀院、その後1661?1672の鬼怒川改造工事の時に現地に移されたとのこと。
ここには百観音石像と普陀羅洛山観世音石像が祀られている。
また本堂前にあるしだれ桜は「称名桜」と呼ばれている樹齢300年の古木がある、春にまた来たい。
安養寺を出て少し土手を歩き、工場団地内を歩く。
少し迷ったがあまり深く考えず団地に入ったら右へ道なりに行く。
駐車場を通り抜け少ない階段をのぼり道に出る。道なりに行くと弘経寺大門が現れました。しかし、そこから長かった。
住宅地を通り国道354合線バイパス下を潜ると、その隧道は地元の小、中、高校生の共同作品の壁画が描かれていた。ほっとするひととき、その先にやっと弘経寺。
ここには千姫の墓が祀られている、と言っても遺体は小石川伝通院に埋葬されているとのことで、ここには遺髪のみ。門扉に木彫りの葵の紋が掘られていたのが興味深かった。
弘経寺を出て左へ道なりに15分歩き、法蔵寺に到着。途中車の往来がある道です、気をつけましょう。
法蔵寺は1592年に創立され、「塁の墓」として全国に知られているそうだ。「塁」怪談物語は古くは江戸時代、現在は歌舞伎、清元に語り継がれているとの事。
恥ずかしながら私は全く存じ上げなかったのですが、水海道にはたくさんの歴史があるようです。
法蔵寺から20分ほど歩き「安楽寺」へ到着。今回の水海道の旅はここが最後です。
私事ですが、昨年10月に福岡へ行く機会がありちょうど孫の高校受験でもあり太宰府でお札をいただきました。知らずに立ち寄った安楽寺が菅原道真に縁のある寺だとは何か縁を感じます。
ここには4つの門があり、私が入った門は福禄祈願の東門でした。「福禄」と「はしあわせ」の意味です。来年70歳を迎える私、今でも充分幸せと感じています、これ以上のしあわせをお願いする事はありませんが感謝して通らせていただきました。
(安楽寺の説明解説を見つけました、ご参考までに載せました)
ゆっくり過ごしたいとは思いましたが、電車の時間もあり中をざっと見渡して帰宅しました。水海道まだまだ見どころがあるようです。つくばは隣の街、またお邪魔したいと思います。
45分歩き三妻から常総線に乗り帰宅。常総線は昨年9月に豪雨被害を受けましたが、11月16日に全線運行開始しております。三妻駅からのんびりと車窓を楽しみました。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。