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ぶらり・ぶら~り

第116回 16年ぶりに中山道歩き再開Part5 (2014/03/28)

10月21日8日目 須原宿~野尻宿~三留野宿~妻籠宿  38391歩 26.4k

巡礼をしていて途中バスや電車を使うと、次の出発地点が解らなくなる。
須原の宿を出てから19号線を歩き始める。

「今も古い町並みが残り、街道沿いに丸太をくりぬいた水舟が置かれ旅情をさそう」はず。国道はクルマがバンバン行き交い旅情はとても味わえない(笑)
すると大きな四つ角に定勝寺(じょうしょうじ)有りの文字。
導かれるまま左に曲がり歩いてみれば中仙道あり。 コレコレ古い町並みです。
改めて須原宿を歩き、定勝寺に立寄り野尻へ向かう。
http://niikai.ganriki.net/nagano/nakasen/subara/teisyou/teisyou.html

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線路沿いに歩き伊奈川橋を渡ると、木曽谷の風景がひろがる。田園風景を歩き再び木曽川沿いを歩く。長坂~橋場~大島~寺沢~関山と5つの集落を通過。12時を回る頃に野尻宿到着。

駅のそばの大桑村野尻出張所で休憩、公衆電話から本日の宿を探す。
妻籠は人気の観光地、月曜日だというのに宿はどこも満杯だった。
妻籠より先の「妻籠宿寺下」の民宿を紹介された、やれやれ!
妻籠まで約13k、多分夕方までには着くかな?いや明るいうちに到着したい。

野尻の宿は七曲がり、外敵を防ぐため街道を曲げてあったとか(ウオーキングマップより)。先を急ぐ私に野尻宿はあまりに魅力的、速度が遅くなりそうな私。
しかし、明るいうちに到着しなくては。三留野宿まで10k、とりあえず進まなくては行けないと、自分に言い聞かせながら歩く。

木曽川沿いを歩き、途中、南寝覚めと呼ばれる柿其峡をみる。木曽福島宿から雨の中見逃した寝覚めの床も、こんなふうだったのかと思いながら流れを楽しむ。
美しい木曽川の流れを眼下に進みながら、14時45分三留野宿を通過していた。

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10kを2時間強。結構良いペーストと気を良くしていると中山道お決まりの山道に入る。
三留野宿を通過して1時間、20分後、どうやら妻籠宿に到着したらしい。

宿場町は活気がありました。
歩く途中で出会ったご夫婦との再会しばし談笑、妻籠宿反対側の入口に到着したのは既に17時近かった。もうすぐ日暮れです。宿まで歩くと30分、宿のご主人にお迎えの電話をしてしまいました。

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お迎えにきてくれたのは90歳のオーナーさん、切り盛りは長女の方がやっておられた。
そして何とご主人と私は生年月日が同じ、加えて妻籠宿の郵便局でお話をした局長さんは妹さんのご主人でした。この日は、アメリカ人のお嬢さんお二人、東京の熟年カップル(奥様は同い年)が同宿でした。3組とも本日飛び入りの客でした。偶然が重なり楽しい宿泊になりました。

10月22日 9日目 妻籠宿~馬籠宿~落合宿~中津川宿 24775歩 15.9k

いかにも歴史を感じる家屋での一夜だった。
ミュージシャンのご夫婦と記念撮影、宿の奥さんに昨日まで歩いた妻籠の入口まで送って頂いた。

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木曽路の宿場町であると共に,伊那への追分として賑わった妻籠。昨夕も、国際的にも賑わっていた。昭和43年から町並み保存事業により復元整備が行われたとか、大妻籠まで古い町並みが続いていた。

この日は中山道お決まりの馬籠峠越え、石畳のきつい坂を歩き、男滝・女滝を超えると馬籠峠の頂上までは上り下りを繰り返す。京へ行く人、江戸へ行く人、何故かこの日は外国の方ばかり。まるでスペイン巡礼と同じであった。

さすがに人気のコース、トイレや休憩所などの施設は充実している。多くの外国からのツアー客を迎える体制が整っているように思えた。

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奈良井宿から前後しながら交流を深めつつあったアメリカの4人組と、またまた再会。
いちこく御休み処でご一緒になる。ここまでご縁があるのだからとアドレス交換。
この休憩所で、ボランティアの方ご好意からお茶や柿の接待を受けました。
小さな箱があるので気持ちだけでもと、感謝の気持ちを入れさせて頂きました。

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峠越えをしながら、この道を和の宮様や「夜明け前」の青山半蔵、島崎藤村も歩いたのかと、当時の人々のたくましさを感じます。

恵那山を眺めながら峠も終わり馬籠宿に到着。木曽十一宿の最南の宿場。人馬が歩き易いように石畳が敷き詰められており、今も古い家並みが残っている。ここは観光客でいっぱいだった。当然だが日本人でいっぱいだった。

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馬籠宿をでて落合宿までの4.5k、奇麗な田園風景が続きます。石畳や古い町並みが少し残っていました。京より江戸へ向かう香港在住の英国人のツアー一行が、石畳の坂をフウフウ言いながら上ってきます。私は京へ向かって歩いていますが、江戸へ向かって落合~馬籠、妻籠を歩く方が、少しは上りが少ないかもしれません。この区間だけ歩くのも良いと思います。
落合へ向かう途中で誠に美しいトイレに出会いました。

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落合宿から本日の目的地中津川まで4k、途中ビジネスホテルを予約。相変わらず続く上り下りを歩きます。再び美濃最高峰恵那山(2190m)を眺め芭蕉句碑を過ぎれば、中津川までは平坦な道となります。17時日暮れ前に中津川到着。

10月23日10日目 中津川宿~大井宿  18928歩 12.2k

中津川宿は旅館29件が並ぶ大きな宿場町。飛騨路と美濃路が交差する街道の起点。
中津川宿は奇麗な街でした。夜も明けやらぬ6時に出発、良く整備された街でした。
見所も多く、なかなか前に進む事が難しい私でした。でも街が眠っている時に出かけたのは正解だったかも?時間もお金も残り少ない私でしたから・・・(~~)

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昨夜の宿はビジネスホテルでカード支払いが出来ました。もう一泊の宿代が残っているようですが、その先へ行くと交通の便が良くない。次に始める時に困ります。
今回の中山道歩き、京都まで192kを残し大井宿で一旦終了です。

帰宅は鈍行で帰る事にします。午前中には汽車に乗りたいと歩きました。
幸い中津川宿から平坦な道が続きます。甚平坂を上り根津神社で坂を下り午前10時前に大井に到着でした。

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ジパングに入っている私は、家まで3割引で帰宅出来ると改札へ。が、ジパングの手帳がないと3割引にならずがっかり。viewカードがあればと思っていたのですが大井はJR東海区域で駄目だという事でした。カード時代にノートが必要なんて・・・・これから気をつけま~す。

中山道を10日間歩くなか、まだまだ書ききれない事がたくさんありました。
しかし「百聞は一見に如かず」私は趣味ですから全部を歩きますが、お気に入りの場所をひと区間だけ歩くのも良いと思いますし、そうなさっている方にも出会いました。
次回は未定ですが早いうちに京都へ到着するまで歩きたいとおもいます。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。