ぶらり・ぶら~り
第104回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(8) (2013/03/14)
Part2 北の道・・・La Costa」7
33日目(5月20日)18,614歩 13.7k : Baamonde ~(汽車) Teixiro Bajar ~ Sobrado dos Monxes
新しいリュックを買うにあたり、あと一ヶ月以上は歩く予定があるので間に合わせで買う事は出来ない。大きな町の専門の店で買う事にしたい。
昨日は、自転車で巡礼するドイツ人母娘Christiane&Christlと知り合う。母親は私達とほぼ同年齢。忘れられない良い出会いでした。
再会したAの体調は歩ける状態でない。ホスピタリティに聞くと途中TEIXEIRO BAJAR まで汽車で行くとSobrado dos Monxesへ行けるとの事、しかも駅から2キロ。
本日の目的地までは40キロ、私は途中Mirazで宿泊して2日かけて歩こうか迷う。
La Costaの路もそろそろ終盤。私も汽車でAと行く事にする。
9時母娘を送り出し、私達は10時半の汽車でTEIXEIRO BAJARへ向かいます。
ところが、駅から2キロは大きな間違いだった。
2キロとは降りた駅と目的地の町との境界線迄の事だったのだろう(多分)
ホスピタリティも知らなかったと思う(多分)
結局Miraz迄の距離を歩いたようだ。本日のアルベルゲは1142年に出来たMonastetrio de Santa Maria de Sobradoという由緒正しい修道院でした。
きっとヤコブ様は歩く事なしでは泊まれないとのお叱りだったのかも?
あと2キロというところでAがもう一歩も歩けなくなった。
そこはガソリンスタンド、パトカーと若いカップルの乗る車が給油をしていました。
先ずはお巡りさんにアルベルゲ迄の距離を質問、さすがに送って欲しいとは言えなかった。しかし、2kという距離が判明した事は収穫だった。
次に若いカップルに,事情を話2k先のアルベルゲ迄送って欲しい旨を告げると気持ちよくOKの返事、助かった!ここ迄頑張ったのですヤコブ様も許してくださったのでしょう、感謝。
人気の修道院は、ペリグリーノでいっぱいです。私達はベッドを確保出来ただけでも幸運でした。別れたばかりの母娘始め、会えないと思っていた人達と再会出来ました。一生懸命歩いたご褒美ですね。
34日目(5月21日)36,683歩 27.3k : Sobrado dos Monxes ~Arzua
Arzuaはフランスの道と北の道の合流地点、5年前泊まった所、いよいよ終盤です。
修道院の前のバルで朝食をとる。オーストリアのマリアや自転車母娘も食事中だった。Aは朝食時間が早すぎるというので先に出発。
アストリアでは矢印が少なくてペリグリーノ泣かせだったが、Lugoやここガルシアでは矢印やホタテマークがたくさんあり、しかも残された距離が刻み込まれていて楽しさもひとしおです。
全般を通じ厳しいコースでしたが、終盤に近づくとなだらかな道が多くなった。
楽しそうに歩いている青年がいます、一人歩きを楽しんでいる様子だったがつい声をかけてしまった。名前はロベルト、スイス人だが祖母がスペイン人、5カ国語が話せるそうだ。おばさん気に入られたらしく先に行ってと促すが彼も足が痛むのと事で途中迄同行する事になる。
スペイン人の友人とcaminoを歩いているようです。
12時半頃SENDELLE到着、教会のミニショップあり。信者の方が交代で店番とその前にある”St.a Maria de Sendelle“の管理をまかされているようだ。
15時道路沿いの門扉にアルベルゲと矢印が見え始めArzuaに到着。
Arzuaはフランスの道と北の道の合流点アルベルゲやホステルが道路沿いに沢山あります。13時にAからメールが入っていて私営アルベルゲで待っているとの事で探す。
自転車母娘も同宿、町で出会って紹介されたとの事。
清潔そうで、シーズン前なので空いていた。近くのスーパーで食材を購入。スープとおにぎりをつくり母娘にも声をかけおにぎりパーテイ。
そういえば5年前もゴールを前に皆でおにぎりパーテイをした記憶がある。
おにぎりは日本が誇るべきヘルシーな食べ物だと確信している。
私は少し風邪を引いたようで、咳が夜中じゅう出て迷惑をかけてしまった。
ベッドがたくさん空いていたので皆から離れて隅っこに移動して就寝zzzz
35日目(5月22日)バスで移動ゆえ歩数無し39.4k:Arzua~Santiago compostel
5年前フランスの道を歩きこの道は既に歩き済みなのでアルベルゲそばのバス停からSantiago迄39.4kをバスで移動、雨の朝だった、
車窓からペリグリーノ達が歩いている姿にチョット胸がキュン!!途中からバスに乗るペリグリーノもいた、これでも良かったかな?バスターミナルに到着そこからカテドラルまで30分歩く,良かった(*゚ー゚)>町なかで降りるのはどうも・・・
先ずはペリグリーノオフィスに行きます。5年前と少し場所が変わっていた。門をはいるとクラウディアが正面にいる。再会もそこそこに手続き。巡礼は100k以上歩けば証明書を受け取る権利がある。多少汽車、バス、車とパスをして来たが私達は堂々と証明書を受け取る。
宿に荷物を置き、12時のミサに間に合いました。私達もノルテを歩いた日本人として呼ばれました。そして幸運な事に今回ボタフメイロを実際に見る事が出来ました。
私達の様に信者でなくても身の引き締まる時間だった。ミサが終ると人種、国籍、宗教等関係なくお互いの幸せを喜び合い、ハグし合う瞬間だった。
カテドラルの前で顔なじみに出会うと、お互いが歩き終わった事を再び喜び合いました。この幸せで又歩きたくなるのですね~
コンポステーラのパラドールでは一日3回の食事(賄い料理)を、証明書持参のペリグリーノ10人限定で、ふるまってくれます。早いもの順です。前回は昼食を頂きましたが今回は朝食に挑戦でした。そこには又クラウディアが、そして日本人の若者が、オランダ人が。昼食に比べると朝食はとても質素でした。でもこれもお金では買えない経験です。
私はSantiago compostelaで2日間風邪を治す為に休養をする。
そして、どうしても巡礼の原点とおもわれるPrimitivoを歩きたかった。
時間が余ったら、途中ポルトからポルトガルの道を歩くことに挑戦する。
Aは腰の状態が悪くPrimitivoを歩くのを諦め、ポルトガル/リスボンからバスを利用した観光の旅を途中までして、体調が良くなったところからポルトガルの道を歩くことにしました。
帰国日から逆算してSantiagoでの再会日を決め、私達は互いにひとり旅立ちました。
今年12回目を迎えたサバイバルウオークと東日本大震災2年目におもう事
阪神淡路大震災以来帰宅難民という言葉で,出先で震災にあった時の訓練として始まった自宅迄の徒歩を訓練とするサバイバルウオーク。私の主催する「みちくさ」で12回目を迎えた。この12年間に災害時のシミュレーション等行われ、私達がいざという時の行動もいろいろ伝えられて来ました。
むやみに歩く事も問題があると判明、自分をいかに守るかという事、社会の中でどのように対処するか?問題は山積みです。
単なる訓練に終ってくれればという思いで、自分の体力や判断力の訓練として続けて来ましたが、残念ながら2年前、本当に万が一の事が起こりました。
幸い私自身は被害を受ける事なく過ごしました。
昨年の2ヶ月間は、自分の体力に5年の歳月を感じながらの巡礼でした。
又、1月の訓練は昨年より少し手前のTX三郷中央駅からの出発でした。
ここ数年は歩く度に重ねる年月を認識しております。
近い将来災害が又来るかもしれない、心身共にどのようにその時を迎えるか?
今の私はこの課題を受け止め、気負う事なく自分らしく未来を見つめ周りに迷惑をおかけしないよう心がけて年を重ねたいと思います。
今年の訓練は、新参加者2人でした。この10年くらいはメンバーが定着しています。スタート時点で記念撮影を忘れてしまいました。昨年の出発地点流山おおたかの森での撮影でした。参加者全員が60代、毎年自分の限界を確認する日となっています。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。